画人が金箔を使う理由の1つが判った
画人が金箔を使う理由の1つが判った。
まず、頭の体操から。
雪原の銀河
一度、松本市で観測史上2番目の大雪が降った後の体験です。
全面が白一色に変わりました。
畑と畑の間の道も、枯れ草も全て雪で覆われて,辺り一面が真っ白。
散歩する自分の足跡だけの世界。
日があたり溶けて溶けきれず夜氷になり、翌朝また日が当たり溶ける。
これを繰り返していると雪原の表面がキラキラと虹色に光る不思議な光景。
手前の雪面を注意して見ると、大きな平たい板状の氷の結晶が成長している。
これに朝日が当たり正反射して雪原に輝点が輝く。
この雪原を眺めていると何故か天の川銀河の様に感じたのです。
おやっと思い片目を瞑った。
すると片方の目では輝点で光っている箇所はもう片方の目では光っていないことに気付いた。
太陽の視角度は、0.5度なので、結晶の平滑性は相当なもの。
人の目は両眼で物体を捉えて無意識に物体の距離を判断している。
ところが片方の目にしか見えない風景は無限遠に感じることに気付いた。
〜〜〜
さて、金箔の話。
https://jmapps.ne.jp/nerima_art/det.html?data_id=1141
絹本金地着色、二曲一双の作品だ。
絹本金地着色、二曲一双の作品だ。
この屏風の前をゆっくり移動して閲覧すると、桜の花が浮き出て立体的に見える。
おやっと思い、何度も左右に往復して作品を眺めた。
恐らく照明も拘ったのだと思う。右眼と左目で金箔の光具合が変わっている。
しかし、桜の花は当然、左右の目に同じように見える。
でも両目で見て、ゆっくり歩いて眺めると、桜の花びらがあたかもそこに有るかのように浮き上がって見えるのだ。
人間の眼は、遠近感を左右の目の画像から自動的に判断している。
右目と左目で同じ物を見ていても、その背景が異なると、ピントの異なる別の距離の物体と認識する。
つまり、右目と左目で明るさが異なる金箔の背景は、桜の花よりも、遠くにあると錯覚する。
その結果、金箔の背景(遠景)の中、手前に桜の花が有ると錯覚するのだろう。
この作品の左に、絹本の掛け軸があったため、その差が歴然として理解できた。
今回、105作品の中に、 #練馬区立美術館 からの出品は、この#21の桜花雙鳩・秋草群鶉図だけであった。
(残念ながら後期展示(~6/30)では#21を見る事ができないっす。)
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