藤岡デジタル博物館
群馬県藤岡市
デジタル博物館
藤岡デジタル博物館
藤岡市三大偉人とは、
・江戸時代 和算の 関孝和(せきたかかず)
・明治時代 安定した養蚕法を独自開発した 高山長五郎
・航空機設計者 堀越二郎 (スタジオジブリの映画のモデル)
ということだそうです。
高山長五郎が興した高山社へは、一度見学に訪れました。
高山氏は、日本国が富国強兵のため海外から物品を購入するための資金(外貨)を稼ぐ手段(=輸出品)は、蚕糸であると確信していた。
しかし、当時の養蚕業は、お蚕(かいこ)の病気で大量死滅するため、安定的な産業と言うにはほど遠い状況だった。
そこで、お蚕が病気にならない養蚕方法をひとり研究し続ける。
1年、2年、3年と失敗が続く。
キチガイ呼ばわりされても、自宅まで養蚕専用に設計し新築した。
5年間自分の財産を投入し続けて
生物のお蚕を安定して育てる方法を開発した。
更に凄いのは、特許を取らずに、学校を作ったことだ。
全国から、養蚕法を学びに来る生徒を受け容れた。
明治政府が本格的に養蚕法の教育に腰を入れる頃には、現在の八高線藤岡駅の駅前は、高山社の学校群があまたの卒業生を日本全国に送り出していた。
その卒業生数の県毎のリストを高山社で見た。
1つだけ不思議に感じたのは、日本全国から高山社に学びに訪れているにも関わらず、長野県からは、あまり高山社に学びに訪れていない。
〜〜〜
富岡製糸場が、世界遺産登録を申請したが、一度目は却下された。
そこで、養蚕群として、
・高山社
・風穴(荒船山)
・田島家(伊勢崎市?)
をセットで申請して、世界遺産登録に成功した。
ちなみに、富岡製糸場は、昭和の最後ぎりぎりまで、現役の製糸業を営んで営業していた。
経営していたのは、諏訪湖畔から興った企業 カタクラ財閥。
カタクラ財閥は、松本市に工場を立ち上げ、一時期日本最大規模の釜数を誇っていた。現在のイオンの場所。
今年になってその偉業を成し遂げた事業家、今井五介(いまいごすけ、片倉兄弟の3男、今井家に養子入り)の紹介動画が、地元の高校生(松本工業高校)により作成されて、松本市の公式ホームページにYoutube動画が登録された。
「お蚕さまから生まれた街」 15分25秒
(いちのせ)
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