コニカ(小西六写真工業株式会社)の前身『六櫻社』と 辻本写真工芸社 そして 便利堂 の成した仕事
京都便利堂さんのBLOG記事をご紹介します。
よくぞ、色分解撮影をしておいてくれました。感動ですね。
昭和10年 (1935年) の当時のエンジニアや職人の仕事。
辻本写真工芸社 => 便利堂
六櫻社 => コニカ(小西六写真工業株式会社)=> コニカミノルタ => ソニー
以下、引用:
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(便利堂さんに文章の転載、及び画像引用<img src=""> 許諾を申請中です。)
原寸大分割撮影カメラ(写真は模型) 昭和10年 六櫻社製(模型も)
金堂内部の通路は非常に狭いので、撮影にあたっては特別の工夫が必要であった。
そこで六櫻社(小西六写真工業株式会社、のちのコニカ)の技師たちの協力を得て特製のカメラ装置を設置することになる。
まず、壁画の前に等大の枠を立て、その枠に特製の写真機を取り付け、写真機は枠の中で上下左右に自由に移動できるように仕組まれた。
乾板は英・イルフォード社に全紙サイズ約50ダースを注文したが、あまりにも大量の発注であったので間違いであろうと照会してきたというエピソードが残っている。
魂抜の法要ののち、まず最初に6号壁から作業を始め、組み立てに5日、ピント合わせに1カ月要したという。
8月1日から始まった撮影は予定を1カ月以上延長して、10月15日に終了した。
モノクロ印画3セットを文部省に納入。
https://takumisuzuki123.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
より。
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■追記)
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「撮影の初日、昭和10年8月1日、
小西六写真工業株式会社の技師3名、
便利堂 より8名
(当時技師長であった
故 佐藤浜次郎 を首班として
技師 辻本米三郎 を輔け、
助手4名、営業部2名)が早朝に修理事務所に集合した。
寺では壁画の魂抜の法要をするから撮影に関係する者は全部金堂に集まって呉れと連絡してきた。
修理事務所側からは事務主任であった
故 今井文英氏、
大滝正雄技師、
岸熊吉技師、
等外数名が参列された。
(「金堂壁画原寸大写真原板覚書」石黒豊次、『聖徳』9号、昭和32年3月)
技師長・佐藤浜次郎
昭和2年、東京・
辻本写真工芸社 の高級原色版部を
便利堂 に併合することにともない、
佐藤をはじめとする6名の技師が便利堂に移籍した。
佐藤は辻本時代の大正8-9年に『法隆寺壁畫集』として原色撮影、昭和4年には便利堂『仏畫篇』で撮影を行っており、今回が3度目となる。
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https://www.valuebooks.jp/原色法隆寺壁画/bp/VS0019768850
原色法隆寺壁画
- 辻本写真工芸社 編
- 出版社:辻本写真工芸社
- 出版日:1924
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■追記2)
http://libmuse.kcua.ac.jp/muse/bio/satotatsuzo.html
「
佐藤 辰三
さとう たつぞう
明治37年(1904)~昭和43年(1968)
神奈川県横浜市に生まれる。東京商工学校(現埼玉工業大学)を卒業。大正14年(1925)兄佐藤浜次郎が先に入社していた東京大森の辻本写真工芸社に入社。同社高級原色版部が京都の便利堂と併合されたため、京都に移り、昭和2年(1927)便利堂に入社。同10年(1935)から行われた法隆寺金堂内陣壁画の原寸大原色版分解撮影を兄とともに行う。同27年(1952)『桂離宮』(毎日新聞社)、同28年(1953)『正倉院』(毎日新聞社)を刊行。同29年(1954)毎日出版文化賞受賞。同30年(1955)便利堂を退社するが、その後も古美術、古建築の撮影を専らとし、同35年(1960)『法隆寺』(毎日新聞社)を刊行した。
(C)京都市立芸術大学芸術資料館
」
つまり、辻本写真工芸社から便利堂に移籍した6名の内、1人は佐藤浜次郎さんの弟の辰三 さん ってことですね。
■追記3)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/pdf/gaiyou/gakusou/12/012_siryou_a.pdf
資料紹介
昭和十年撮影 法隆寺金堂壁画の写真原板
金井杜男
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「フィルムは寸法が四切りの約4倍の全紙版(455x557mm)」
「総枚数は374枚である。」
第1号壁から第12号壁。総枚数374枚なので、大壁1枚、小壁11枚ってことかな?
全紙版をインチに直すと、18 x 22 inch (457 x 559 mm)から縦横 2ミリずつ小さくしたサイズですね。
■追記4)
国宝・重要文化財(美術品)
法隆寺金堂壁画写真ガラス原板
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/00011692
「イギリス・イルフォード社製の全紙規格(456ミリメートル×565ミリメートル)のガラス原板が使用された。」
※追記3)の情報とガラス乾板の寸法情報が微妙に異なりますね。
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