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2021年9月19日 (日)

(半導体)開発ものがたり 奥山幸佑 出典:日本半導体製造装置協会 SEAJジャーナル 2008年5月〜2014年11月


開発ものがたり
奥山幸佑


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 本資料は、元ルネサス テクノロジ株式会社の主管技師を勤められていた奥山幸佑氏(現 株式会社フローディア 代表取締役社長)が、一般社団法人 日本半導体製造装置協会(SEAJ)が発行している「SEAJ ジャーナル」に、2008年5月より2014年11月まで、34回に亘って寄稿された記事を転載させていただいたものです。

 半導体の基礎原理から、集積回路、VLSI、メモリ等の開発経緯、技術的内容の解説、半導体の社会に対するインパクトに至るまで、同氏の深い理解、経験、洞察に基づく極めて優れた内容の解説記事であると考えます。


半導体の話
出典:SEAJジャーナル
1 はじめに 半導体デバイスによるユビキタス社会の実現-
2 半導体の歴史-その1 19世紀 トランジスタ誕生までの電気・電子技術革新-
3 半導体の歴史-その2 20世紀前半 量子力学の誕生<前期量子論>-
4 半導体の歴史-その3 20世紀前半 量子力学の確立と半導体への応用へ-
5 半導体の歴史-その4 20世紀前半 半導体の夜明け-
6 半導体の歴史-その5 20世紀前半 トランジスターの誕生-
7 半導体の歴史-その6 20世紀後半 集積回路への発展(1)-
8 半導体の歴史-その7 20世紀後半 集積回路への発展(2)-
9 半導体の歴史-その8 20世紀後半 集積回路への発展(3)-
10 半導体の歴史-その9 20世紀後半 集積回路への発展(4)-
11 半導体の歴史-その10 20世紀後半 集積回路への発展(5)-
12 半導体の歴史-その11 20世紀後半 集積回路への発展(6)-
13 半導体の歴史-その12 20世紀後半 集積回路への発展(7)-
14 半導体の歴史-その13 20世紀後半 集積回路への発展(8)-
15 半導体の歴史-その14 20世紀後半 集積回路への発展(9)-
16 半導体の歴史-その15 20世紀後半 半導体メモリの出現-
17 半導体の歴史-その16 20世紀後半 インテルにおける不揮発性半導体メモリとMPUの発明-
18 半導体の歴史-その17 20世紀後半 超LSIへの道-
19 半導体の歴史-その18 20世紀後半 日本における半導体メモリの発展-
20 半導体の歴史-その19 20世紀後半 超LSIへの道-
21 半導体の歴史-その20 20世紀後半 超LSIへの道-超エル・エス・アイ技術研究組合(1)
22 半導体の歴史-その21 20世紀後半 超LSIへの道-超エル・エス・アイ技術研究組合(2)
23 半導体の歴史-その22 20世紀後半 超LSIへの道-ホトリソグラフィ技術と、その成り立ち
24 半導体の歴史-その23 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代 超エル・エス・アイ技術研究組合(3)と日本光学工業におけるステッパー開発経緯
25 半導体の歴史-その24 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代 DRAMにおける日本メーカーの台頭
26 半導体の歴史-その25 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代 DRAMにおける日本メーカーの台頭 その2
27 半導体の歴史-その26 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代 インテルの戦略転換(1) DRAMからの撤退
28 半導体の歴史-その27 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代 インテルの戦略転換(2) MPU戦略
29 半導体の歴史-その28 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代後半から1990年前半 日米半導体摩擦と協定
30 半導体の歴史-その29 20世紀後半 超LSIへの道-1970年代後半から1980年半ば Flashメモリ
31 半導体の歴史-その30 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代後半から1990年前半 Flashメモリ その2
32 半導体の歴史-その31 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代後半から1990年前半 アジアの台頭 その1
33 半導体の歴史-その32 20世紀後半 超LSIへの道-1980年代後半から1990年前半 アジアの台頭 その2
34 半導体の歴史-最終回 未来に向かって-

(追記)


MS-DOS時代のCPU、Z80が産まれる前に、8008 4004をインテルが作っていて、4004は日本の企業(嶋さん)がインテルに開発依頼をしたことがきっかけ、までは知っていました。日本の企業の要求仕様が10進だったのを2進にしたり、とIntelの設計者が工夫をしたことや、4004は、期間限定の独占販売権を日本の企業に与えたことなど、当時の状況が詳しく書かれていて結構面白かったです。

(追記2)


あの嶋さんが登場するページ:

前稿でインテルの最初の4ビット MPU 4004について記 載した。インテルはこのデバイスを共同開発社のビジコンとの契約で1971年から3年間はビジコン以外に販売できない。」
しかしながら、当時、プロセッサを使って様々な小型コンピュータあるいはコンピュータ的な情報機器を作ろうとしているのはビジコンだけではなかった。顧客がいるのにインテルは4004を売れない。」
最も早くインテルにアクセスしてきた企業は大型コンピュータを操作するための簡易端末である「リモート・ター ミナル」を作っていた米国のデータポイント社と、パソコ ンの走りとなるデスクトップ・コンピュータを作っていた日本の精工舎である。

開発資金はビジコンが出資している。これらの事を考えると MPUは日本のビジコンが生みの親と言っても過言ではない。
この年(1968年 )の6 月に小島は、嶋を含めた3人にストアド・プログラム方式 の電卓用の LSI をインテルに発注するためにアメリカ出張を命じている。嶋はビジコンの子会社、電子技研の社員として旅立つ。

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