祝 80歳
昔、マクルーハンに影響を受けた頃、時計を腕に持ってきたことの価値を考えていたことがありました。
足の拡張が列車で、そのパーソナル化が自家用車だとすれば、
腕時計は、柱時計のパーソナル化だ。と。
つまり、工場の時計が労働者の時間を管理する道具だとすれば、
腕時計ってのは、個人が個人的な体験効率を自己管理する パーソナルな 道具なんだなあ。
そう、考えていました。
コンピューターが登場した時、1970年に哲学者のイヴァン・イリイチは、
制度化した教育の開放を説き、科学技術こそが、場所や年齢に限らずに、
「学びたい者」と「自らの知を共有したいと願う者」とを結びつける道具として発展すべきだと説いた。
イリイチは、このことに機会の網(oppotunity web)という言葉を使った。
なんと、1970年のことだ。
それが、米国では、オルタナティブ(もうひとつの)な文化を生み、ベトナム戦争への反発から、ヒッピーやハッカーを生み出す。
やがて、ホールアースカタログの運動となり、インターネットの普及により、World Wide Webへと進化する。
ENIAC を始めコンピュータは、弾道の軌跡を計算するため軍事用途から生まれた。
しかしパーソナル・コンピュータは、こうした時代背景から産まれた。
日本では、富士通やNECなど汎用コンピューターメーカーから始まったが、
米国の8bit OS CP/Mから、16bit OS のMS-DOSの流れを現場で見ていたEPSONの設計者たちは、
「パーソナル」コンピュータの意味を理解していたと思う。
その意味で、工場の柱時計を腕に持ってきた 気概 と、
パーソナルコンピュータを 個人の知力を拡張する ための道具として、
個人の手に届けようとした 願い は、共通性がある。
SEIKO EPSON という名は、良い名だと思う。
そのDNAには personal という言葉がcode化されているのだとおもう。
2022年。80周年おめでとう。
最近のコメント